私はもともと人付き合いがいい方ではない。親しい人と過ごす時間の楽しさはよくわかっている一方で一人で過ごす時間をとても多く必要としている。人の多い所は疲れてしまうからアーバンライフよりカントリーライフに憧れる。
貴方は大勢でいるのが好きなほう?人といることによる刺激的な環境を楽しめるほう?それとも、この文章を読んでくれるくらいだから私と近しい内向性をお持ちでしょうか?
内向性、外向性にはもちろんそれぞれ長所と短所があるもののあるデータによると外向的な人のほうが地位を手に入れたりよく稼ぐ確率が高いそう。
企業の幹部や管理職への調査でも自分のことを外向的と回答する割合が一般の人より明らかに高いとか。外向的なほうが出世しやすいということです。
何故なんだろう。極めて内向的な私はこのテーマについてどうにかして覆せないかとずっと考えてきた。
まず、外向性が優位だと思われる理由について考えてみた。
社会や集団の中で積極的に話しかける行動がとれる人のほうが自己アピールできるし活躍の機会を掴みやすい。
知的であっても有能であっても内向性によりそれが伝わらなければ不利になるのは仕方がないと悟ったのです。
人と交わることにあまりに消極的な人に一生懸命目をかけてくれるような貴重な人は親しかいない。
黙っているだけで私の素晴らしい可能性を見つけてよ!私は黙っているけれど私の特別な才能を引き出してみんなに認めさせてよ!
そんなことは通用しないし傲慢極まる態度でありそんな小娘は誰も相手にしないのです。お花畑のお姫様は痛いだけ。特別視されるにはそれだけの理由を出すしかない。
出し方はいくらでもある。会話でアピールするか、文章で表現して読ませるか、態度でわからせるか、、姿勢や背中を見せるか、一芸を披露するか、、人に代弁してもらうか、人の話題に上らせるか、、ビラを撒くか、要はなんだっていい。
成功とか幸せとか願う上で外向的であることは有利であると認めざるを得ない。
一方で、内向的な人の有利なところは一人自分に向き合い特定の分野の研鑽を積んで専門性を磨きエキスパートに近づくこと。
だから、それを実行する自己管理能力を身につけること。そして、ここぞというときだけでも外向性を身にまとうことができたら最強じゃないか。ときに変身できる技を持てばいい。
外向性とはつまり外側の対象に向かって放つ空気感のこと。人に気に入られやすいこと。話しかけたくなる雰囲気をもつこと。相手の特徴を掴む観察眼をもつこと。
それがあれば後は内向的人間のもつ思慮深さとか謎めいた感じを魅力的に好意的に受け止められるようになる。
内向的な人、外向的な人、両方いるからいい。いろいろあっていいし、両方あっていい。一人の人間の中にも両方を持ち合わせたらいい。そこに至ったのです。
内向的であることを活かすために身に付ける外向性は天然の外向性とは違うかもしれない。後付けのオプションのような外向性でも相手にはわかりません。
今の私を見て内気だという人はほとんどいません。明るいとか、情熱的だとか、面白いとか勝手にそんな風に言われます。
笑っちゃいます。別に私の性格が変化したわけじゃない。演劇理論をもとにした魅せ方を知ったからです。だから誰にでもできます。
それを手にしたら貴方の暗さも静けさもパワーにできるのです。
何かを伝えたい、わかってもらいたい、納得させたい、影響を及ぼしたい。そして、それを表現することで物事を動かし、その思いを現実化させます。
仕事ができるとは、どういうことを指すのでしょうか。
それは表明した結果を形にするスピードのことです。
つまり
皆んなが納得するイカした目標を考える力
実行計画、プロセスをイメージする力
それらを伝え切る表現力
周囲が自発的に動きたくなる統率力
周囲の人の自己肯定感を上げる力
豊かな感性
立場に寄りかからない仲間意識
常識でも非常識でもない「超常識」
これらは決して難しことではありません。好かれる➕少しのセンスがあればいい。内向的で口数が少なくてもいいけれど、それを何で補えるかを演出する能力は必要です。
そうでなければ黙々とワンマンプレーに徹する職人のような仕事でしか腕を上げにくい。しかも、今や伝統工芸などの世界でも、イノベーションを起こし発信しなければ衰退してしまいます。
会社にいて、そこそこ年齢が上がってくると尚更、ある種の統率力はあった方がいい。大人しくてもいいけれど、この人と関わりたい、一緒に何かやりたい、この人の影響を受けられるなら何でもやりたい。
そう思わせる人が、「いわゆる仕事ができる人」への第一歩ではないかと思います。
そのために私は、誰が取り組んでも一定の効果を発揮するものを届けたいし、実際に貴方の「現実を変えて欲しい」のです。だから「少しの時間と労力で魔法のような大変身」とかは言えません。
直ぐに得られるようなノウハウは、現場に出たときに使いこなせるとは思えませんし、すぐにリバウンドしてしまいます。
数ヶ月単位の取り組みは必要だけど、着実に変化をもたらすもので、一旦身についたものが元に戻ってしまわない、そんな自己変容のプログラムを提供しています。
深層意識をチェンジするためには習慣化です。無意識に体が動いちゃう状態に、もっていくからずっと効果が落ちないんです。
可能な限り続けやすく、取り組みやすいやり方を模索してきてたどり着いた方法です。
ホントはさ「楽して変われますよ」って言ってあげたいけど嘘はつけないんです。やっぱり魔法みたいなやり方は、ありませんからね。
もしそんな簡単に変われるものなら、コミュ障に悩む人、モテないことに悩む人、仕事が辛い人がこんなにたくさんいませんって。
だから情報のたらい回しのループにハマってはいけない。時間もお金も有限だから。そして積み上げたものが、元に戻らないことも大事。
ただ、そんなにしんどいものではないので、そこは安心してもらっていいです。シンプルに体系化してあるので、楽しく続けてもらえます。
受験勉強して志望校に合格するとか、そういうのに比べたら大したことはありません。
世の中には、たくさんの話し方教室やコミュニケーション能力向上のトレーニングがありますが私の場合は「話し方」の前後に「声」と「人間理解」を置いています。
声を磨くのは、自分を好きになるためで、自然に自分に自信が生まれるからです。さらに、相手への影響力にも、声は直結しています。
一見しただけで「なんかすごそうな人だな」って思う人は、だいたい声の響きが良くて、しっかりと声が遠くに届くんです。
話の内容や言葉も大事だけど、瞬間的に感じる「なんかすごそう」な雰囲気は、声が多くの要因を握っています。
さらに声は一目惚れなどにも影響します。
だから私はまず最初に「声ありき」を提唱しています。話し方はその後でいい。
そして「人間理解」については、世の中には心理学を応用したテクニックがあふれています。
でも、私は少し違っていて、演技の訓練を応用したものを学習することで、人の気持ちを、自分の体で体験できるようになります。
やっぱり、頭で人の心理を学ぶだけより、自分が相手になる体験をするのがダイレクトにわかりますからね。
演技といっても芝居はやりませんよ。俳優になりたいわけじゃないですから。あくまでも仕事とプライベートの質の向上のためです。
一目置かれる人はどんな感じなのか好かれる人はどんなことをしているのか。相手がついつい前のめりになって、こちらの話を聞きたくなるのはどういうことなのか。体の内側から分かるようにするためです。
なぜこのようなことをしようと思ったかというと、私自身が演劇畑にいちばん長くいたからです。
表現力を身につけるだけでなく、人前に立って緊張感の中でも最高のパフォーマンスを出せる力が身につきます。
自分を客観視する能力は、なかなか得がたいものです。どんな時も冷静沈着で、的確な判断ができる能力は自分を助けてくれます。
ビジネスにおいても、パートナー選びにおいても失敗の可能性を下げることができます。これらが着実にものにできれば、実生活がかなり楽しく変化します。
声にはいろんな思いが詰まっています。声には貴方の意外な潜在能力が表れています。
あらためて、内向性の光と闇について書きたいと思います。
よく内向性が良い形で表出されたり、昇華されたりする例として、アインシュタインや、ニーチェなどの天才性を爆発させた変わり者が挙げられます。
一方で、才能をもちながら、強い孤独感、疎外感に苦しみ自殺する人がいます。作家や画家などの芸術家に多そうなイメージですね。
そして、もっと負のイメージですと、無差別殺傷事件に代表される「誰でもよかった」という許し難い事件を引き起こす殺人犯がいます。
このような人々の背景に、強い内向性、孤独、疎外感、見捨てられた感、自己喪失感、自己無価値感が指摘されることがよくあります。光と闇はとても両極端に見えます。
ここで、ご紹介したいのが闇に堕ちそうになりながら光に転じた人です。こういう人はもっとも参考になります。
それはドイツの文豪ヘルマン・ヘッセです。ヘッセは学生の頃から孤独感を募らせていました。学校を辞めたり、職場をすぐに辞めたりしていました。
「詩人にしかなりたくない」と言って逃げ出す問題児でした。ひどいノイローゼで自殺未遂を繰り返し、病院に通っていました。しかしヘッセは自殺未遂は繰り返したものの、死にませんでした。
絶望感をもったまま、光の方へ行ったのです。そして家族をすてて隣国に亡命しました。その苦しみや、絶望との付き合い方が書物から伺えます。
20代でベストセラー作家となろうが、精神状態の悪いヘッセは苦しみ抜き、東洋思想にのめり込みました。なのでヘッセの作品は、日本人の感性によく合います。
生きる喜びが文章から伝わりつつまた、虚しさも伝わってきます。こういう人はきっと、何か良いことあろうと決して「俺絶好調!ハッピーーウキウキ!!」とは、ならないのです。
そうではなくて、私には想像もできないような、悟りの境地に達しているようです。静かで、テンション高くもなく、低くもなく穏やかな境地です。
そこまで到達したヘッセはもしかしたら、今一番読まれるべき作家なのかもしれません。孤独や絶望と一体になりやすい人は養育環境だけではなく、生得的なものにも寄るのではないかと精神疾患の書物を読むと感じられます。
まぁ、この辺りのことは解明されていないことも多いため、なんともいえませんが。ただ、ヘッセがとても貴重な生き方を示してくれたことは事実です。
本人が苦しみ抜きながらも、光を見ようとしたことは現代に生きる内向性の強い人を励ましています。それは間違いのない事実なのです。
ヘッセの作品は、内向性の強い人には身にしみる言葉が多い。たしかに、世界にはヘッセ以外にも、優れた作家は沢山います。
でも私にとって、文学の底力をもっとも感じさせてくれるのがヘルマン・ヘッセなのです。よかったら読んでみてください。
悩みが深い時に読むと信じられないくらいの力が湧いてきます。内向性は何も悪くない。ただ、殺人や自殺に向かったらいけない。
偉業なんて別に成し遂げなくていい。ただ、強く静かに生き抜いていくことは放棄しないでいよう。