話し上手や聞き上手な人は好まれますがただの雑学王は確実に廃れています。スマホの方が物知りだから。自分でいくらでも事実や情報であれば手に入る情報社会においてたくさんのことを知っているだけではもはや何の価値もありません。
それより自分が自ら体験したことを面白く興味深く相手の状況に立って伝えてくれる。そういう人が一緒にいて楽しい人になります。
凡庸なものに非凡な解釈を与えられるのは体験豊富な人です。自分の目を信じている。本当の意味での自信家です。ウケ狙いや、自信のなさの裏返りの虚勢とは違います。
自分の前提をちょっとグラグラさせてくれる人って面白いです。そんな人を「変な人」で片付けないことです。是非こちらから飛び込んで認識を広げてもらいましょう。面白い人ってテレビの中に居るんじゃない。いつも自分の近くにだって居るんです。
長年いろんな目にあってその人が形成されています。不可解に見える部分こそ愛すべき部分です。それでもあなたがいいと言われたいし、言いたい。
人生でもビジネスでも本物のパートナーとはこんな関係を築きたい。
日常生活に埋没していると当たり前と認識している範囲でしか世界を見ていないしこうだと思っている物事しか起こらないように見えている。同じ生活を送り同じような人に囲まれて同じような行動を取っているだけではなかなか変化はしません。
固定観念の向こうに抜け出すには、意図的に非日常を体験することです。それは別段、大したことでなくてもいい。数時間だけでもたった1人で大自然の中に身を置いてみるとか。
その間だけでもスマホを置いて家族のことも忘れて。もっといえば、その間だけ自分が何者かも一旦脇に置いてみる。自然とはただの木や水や土だと見えるならそれは解釈に過ぎない。これも一旦脇に置いてみよう。
そしたら何が起こるか。自分の認識が広がれば見えなかったものが見えるようになります。これは決してオカルトチックな意味ではなくて心の目で見れば人の本質に着目できるようになります。
結果、落ち着いていられる時間がどんどん長くなっていきます。周りがどんなに目まぐるしく動いていたとしても何にも影響されない。自分の核に支えられて安心していられる。
そんな境地になってくると事実はもっと違うかもしれないと言葉にならない捉え方が自然に湧き上がって気持ちが安定します。
この世界は何でもありで気持ちのよい世界はいつも自分の隣にあったかもしれなかったと理解させられる。
人や物事を見る目が変わる。変化を自分で認識し始めたら一気に世界の方からあなたに真実を見せてくれます。
理解を超えた想像を超えたこの世界に自分の理想を超えた人が存在する可能性。自分の枠を大きく超えた世界がある壮大な世界に心を開くことができるなら今まで見えなかったものが見えるようになります。
それは意外な人かもしれないし考えもしないようなチャンスかもしれない。自分自身の無限の可能性他人の無限の可能性かもしれない。そこには嫉妬などない。自分の持ち味も他人の持ち味も全てが私を楽しませてくれる体験になる。
昨日のあの人と今日のあの人は違うと分かると毎日が新鮮で新たな発見がある。人に飽きることがなくなります。人の美点を教えてあげたい衝動に駆られます。
そうなってくると周りにたくさんの人が集まってきます。現実的なチャンスが増えます確実に。
恋愛でも仕事でも健康でも無限の可能性はいつも他者が運んで来てくれる。自然のもつエネルギーが他者を通して顕現する。だから限界を外すってスリル満点で楽しい。宇宙人に遭遇しちゃうかもです。

今日は文化座のお芝居を観てきました。三婆とは三人のお婆ちゃんのことです。夫の亡き後の、本妻と妾と小姑の賑やかなバトルを描いています。
舞台は昭和38年。この頃は60歳でおばあちゃんと呼ばれてたんですね。今なら実の孫でもないのにおばあちゃんって呼んだらきっと怒られちゃいます。
この三婆、ひょんなことから一緒に暮らす羽目になります。背景は三人三様だけどみんなちょっと性格の悪いところや小賢しいキャラをしています。
図々しさも、高慢さも憎たらしいけどリアルで笑える。身近にいくらでもいそうなオバさん達。
軽妙なケンカのやりとりが楽しい前半だけどそんな三婆の裏にあるのは老女の寂しさ。後半はどんどん孤独感が見えてくる。
世間は東京オリンピックで賑わっているけど孤独な老人の不安感が裏腹な態度に垣間みえて切ない。
今の時代と同じです。最後は相容れない関係の三婆が寂しさに耐えかねて仲良く暮らしていきます。
女性というのは何歳になっても集まっておしゃべりしていたら楽しく笑って過ごせる能力が高いのですね。
もしも老人男性が三人ならこんなに楽しくはいかない気がします。オバちゃんの底力を感じました。
帰り際、客席で涙ぐむ高齢女性の姿を見ました。三婆を演じた三人の女優のパワーが素晴らしかった。
みんな一緒。歳をとることも、わがままも性格悪いのも、いいよいいよ!そんなメッセージが聞こえてきそうな心温まるお芝居でした。
於:呉竹文化センター劇団
文化座公演「三婆」
周りの人から「いい人紹介しようか」と声がかかりやすい人がいます。このような状況が自然と生まれると出会いが広がっていいですね。
では、それは実際にどんな人なのでしょう。それは周りの人から「この人は素敵な相手がいるんだろうなぁ」と想像させるような人です。
すごく素敵なのに何故か異性の存在が見えにくい人がいるとなんとなく気になるものです。
そして中には確認してくる人がいます。「あなた彼氏彼女はいるの?」そこで「いません」というと不思議がられます。
そして中には「知り合いを紹介しましょうか」と声をかけてくれる人が現れることがあります。
そのように聞いてもらえる人になるには自分の恋愛対象となる年齢の人や独身の人だけではなく、むしろたくさんの人脈を持つ人格者の方に目を留めてもらえるような魅力のある人物になることが大切です。
そうすることでパートナーがいないと伝えたときに「えーもったいない本当?」と言ってもらえます。
そんなあなたになれば、きっと素敵な人を引き合わせえてもらえる可能性があります。
自分で出会いの場に出かけることや趣味のサークルに入ることももちろん良いです。
でも自然に向こうから紹介の話がやってくるようになれれば縁がより広がります。

婚礼司会を通してたくさんの夫婦を見てきましたが結婚当初の惹かれあう夫婦って、つり合いが取れているんです。でも数年でその関係性が壊れることってあるでしょう。
それは実質別れているか一緒に暮らしているかではなく心のつながりの面のことです。時間を経ても精神の成熟レベルが釣り合うかどうか小さい器でもいいので内側がプラスのエネルギーで満たされているもの同士なら円満に続く。
でも相手に満たされることを期待しすぎると、そのうち相手を満たし損なうときが来ます。自分ばかり尽くしているようでバカらしくなる。成長のスピードにズレが大きくなってくると一緒にいる意味を見出せなくなる。
だから経済的不安によって一緒にいるとか結婚に対する責任の面で一緒にいるに過ぎない関係になってくる。外に別の刺激を求めることでやり過ごす。だから結局は魂の成熟度にかかってきます。
とはいっても、最初は外見や経歴がどうしても目に入りやすい。でもどちらかというと冴えないのに強く魅力を感じる人にどのような理由があるのか分析してみましょう。そんな人って精神的レベルが近くないですか?
上のものを受け取りたければ精神でも経済でも自分をまずそこまで引き上げることです。そうでなければ受け取れません。容姿や話術でカバーしすぎると後でしんどい。遊びやカジュアルな関係を求めているならそれでいい。
でも、真の関係性を求める段階にいるのなら精神レベルの釣り合いを考えることが幸せへつながる。結婚が本当にゴールでよいはずがない。
なのになぜかほとんどの人は後からなんとかなると思っている。何とかならないです。毎日の生活や自分の役割に神経を取られるから関係性に重きを置かなくなるのはある意味当然。
人間というものはそんなに、何もかもに力を注げない。優先順位がある。結婚が修行と呼ばれたり墓場と言われる理由を結婚前に深くイメージしてみよう。相手が自分の都合よく変わってくれることはまずありえない。
対人関係のカウンセラーという傾聴のプロでさえ自分の身近な人間関係やコミュニケーションには難しさを感じているものです。素人ですから。結婚を掴むということと結婚生活を円満に送り続けるスキルは別物だと思っていい。
恋は冷めるし、容姿は老化する。でも精神は成長させ続けることが可能。お互いに高め合える関係性は理想的だがそれ以上に自分が自立することが一番大切。奪い奪われる関係に陥らないためには依存ではなくお互いの自立と適切な相互依存。
補い合うことや支え合っていくこと。常に自分も相手も一定ではない。周りの状況によっても影響をうける。
キリスト式の誓いの言葉には極意がある。本気で守れると幸せになれる。非常に難しく厳しい問いかけ。
病める時も健やかなる時も、富めるときも、貧しきときも、愛し合うことを誓うか