弱虫の臆病者のことを英語でチキンという。
恐怖で鳥肌が立つさまや鳥の臆病な性質などからも意気地なしを表するチキンハート。
だけど見た目や雰囲気は置いといて実際、臆病でない人なんてほとんどいない。
わざわざイカツイ演出している人は臆病の裏返しみたいなもの。
そして知識による武装も同じ。純粋な知識欲は尊いが悪魔に命を売り渡してまで知を求めるなら破滅行き。
もしも自分のことを心底意気地なしだと思うなら俺は得していると喜んだらいい。
なぜなら人は武装と勇気を敏感に嗅ぎ分けるし偽善と思いやりの違いを見抜くからだ。
好きな人は?というアンケートによく「自然体の人」が上位にくるのはこのような理由からだろう。
映画のストーリーの王道に弱虫が勇者になるという黄金の筋書きがある。貴方にもきっとお気に入りのストーリーがあるはず。
たとえ打ちのめされても焦らず、腐らず、逃げ出さずそんなボロボロの弱虫が立ち上がるから喝采が送られる。だからチキンハートをごまかすための武装や偽善はいらない。
ヒーローって決してなるものではなく、ヒーロー的に生きることができるだけ。そしてそれが伝わったときはじめてヒーローと呼ばれる。
だから、なる・ならないではなく「そうありたいと望む・望まない」それだけ。
勇者の在り方とは善に対する尊敬の念と知に対する純粋な喜びそんな生活が勇者を作るのだと思う。
で、それがある日表層に表れるだけのこと。
それこそが自然体のヒーローになれる人。だから付け焼き刃のような身の丈に合わない無理はいらない。
カッコつけたくなるときがあってもいい。だけど自分らしくないことで評価されて何になる。桜の木にバラの花を咲かせる努力は愚の骨頂。
例えばオタクでも何の問題もない。貴方の心からの興味関心と自然に沸き起こる静かな思いやりがあればいい。
適切な表現力さえあれば伝わる人には必ず伝わるから。
そんな波長の合う人がわかるようになるには武装と偽善が邪魔になる。だから臆病はヒーローの条件のひとつ。
心地よい人間関係が築けないなら周囲に理解されないと悩むなら伝わる、響く、話し方と表現からです。
原石はすでに持っている。あとはヒーローの原石をピカピカにするだけ。生まれつきのヒーローなんていないしいたとして、そんなストーリー面白くも何ともない。