人間のことを英語で、ヒューマンやパーソンといいますね。これらは一体どう違うのでしょうか。
端的にいえば
●ヒューマンは「生物としてのヒト」
●パーソンは「個人的な人物」を指します。
ではこれから詳しくみてみましょう。
ヒューマンを知る
映画のジャンルに「ヒューマン」と表示されている作品があります。有名な作品をひとつ挙げるとジェームス・ディーン主演の「エデンの東」があります。
それは、人間らしい葛藤や、人がもつ温かさが描かれた感動作のことです。
人間は動物の一種でありながら、本能やエゴで利己的に振舞うだけではなく、時として自己犠牲を選んだり、利他的行動をする生き物でもあります。
つまり「人間的な心を揺さぶられる作品」をヒューマンというジャンルに区分しています。
パーソンを知る
一方、パーソンはパソコン(パーソナルコンピューター)や、パーソナルスペースなどにみられるように、日本語化している言葉が多くあります。
パーソンとは、ある特定の人物(個人)を表す言葉です。他の誰とも違う「その人」「あの人」「私」「田中さん」「山田さん」のことを表します。
それは、「唯一無二の個性をもった存在としての人間」を指しています。
ヒューマンとパーソンを行き来する生き方
日頃、人は自分の生活をより良くしようと、さまざまな活動に励んでいます。しかし、比較や競争の意識の中で人は疲弊します。
どんなに優れていると思う自分の長所も、比較した瞬間に自分を上回るものを発揮している人は世界にたくさんいる現実を知るからです。
だから、もし自分の内面の戦いにちょっぴり疲れてしまったときには、ヒューマニズムを思い出すとよいかもしれません。
自分の可能性というより、自分の内側に全ての人類がいる。自分の内側に世界が存在している感覚を感じてみましょう。
対人関係におけるヒューマンとパーソン
また、人に接する際は、生物的なヒト扱いするのではなく相手のパーソナルな部分をしっかり見て、個人としての特性や資質を発見できる観察眼で人を見るようにしましょう。
例えば「出身学校」「性別」「出身地」「民族」などの一般的な属性を外すことが重要です。
これらを外すことで「人権意識」が芽生えます。相手をたった一人しかいない存在として接することができるようになります。
そこまで相手を認めたうえで、好きになったり嫌いになったりしましょう。そうすれば、たとえ嫌いだと思ったとしてもいじめたり、攻撃したりすることはなくなります。
また、好意を感じる人とは積極的な関係を結んでいくことかできます。
相手は無意識に、あなたから「自分自身についての個別具体的な」情報を欲しがっています。そんな相手の言葉にならない欲求を満たしてあげられると一気に信頼関係が結べます。
無言の欲求とは「自分のことを知りたい」という欲求です。人は誰も「あなたって●●ですよね」とよくわかってくれる人から言ってもらいたいのです。
例えば、よく女性がホストに叱られることを喜んだり、優しい男性が好きだと言ったりします。これらは別に叱らることが好きなわけでも、本当に優しい男性が好きなのでもありません。
ただ、自分の好きな人から助言をされたり、優しく扱われたり、要は好きな相手からかまってもらえると嬉しいと思っているだけです。なので、これをはき違えて、いちいち口をはさんだり、優しさをアピールすると迷惑がられ嫌われることがあります。
そのため、もし特定の誰かに傾倒して苦しくなる場合はその相手を一度ヒューマンに戻し、ただの「ヒト」として区分してみると楽になれます。
まとめ:好き嫌いを超えたつながりをもとう
時と場合により、自分に有利になるようにヒューマンとパーソンを使い分けられるようになるとメリットがあります。
英語でも日本語でも、「人」というものを複数の言葉で表現するのは、意味があります。言葉は人間が作りました。だから、言葉には人が伝えたかった過去の人々の思いが乗っています。
その思いとはヒューマンに託された「人間が人間的であること」と、パーソンに託された「唯一の自分の存在、唯一の相手の存在」です。
両方を意識できる人は豊かな人生を送れます。人の幸せは人との関係性と、自分が世界に対してどのような眺め方をするかで決まるからです。
言葉は思考です。ヒューマンとパーソンという二つの人間をどうとらえるかが、あなたの考えを膨らませ自分の幸せを定義するのに役立ちます。