劇団東演の舞台「マクベス」を観劇しました。
有名なシェイクスピア作品をロシアのワレリー・ベリャコーヴィッチが演出した舞台です。斬新でちょっと不気味で素晴らしかったです。
特に気に入ったのが、男性5人が演じる「魔女」です。3人のロシア人と2人の日本人の役者が演じていました。頭の後頭部に仮面をつけて後ろ向きに演じているのが不気味な雰囲気で引き込まれました。また、衣装も照明も音楽もセンスが素晴らしい!
舞台上の役者たちは一時も止まっていない。舞台を動き回り身体全部で表現されたマクベスは見ごたえいっぱいです。何度でも観たくなる迫力の作品でした。
唄と舞と楽器(鳴り物)の総合芸術を鑑賞してきました。
自然界と人間の融合をテーマにした作品で、非常に抽象的なイメージの舞台作品でした。
言葉らしい言葉ではない音声や、打楽器のリズムは人工的なものとは違い、自然界の音や息遣いが感じられる不思議な世界でした。
日頃耳にするような、歌詞やメロディーが明確に伝わる音楽とは異なり、理屈を超えた表現の世界を堪能しました。
なるほど。日本よりもフランスなどで評価されそうな感じがします。
何でもかんでも答えや意味を求めても野暮というもの。
このような不思議系のアートは、自分の凝り固まった観念をときほぐす意味でも面白いと思いました。

劇団朋友のお芝居を観てきました。小さなコーラスグループのメンバー達のお話です。コーラスの練習の合間に飛び出す話は定年を迎えた夫の話。
登場する三人の定年した男性の厄介な感じが非常にリアルでした。生活の細々したことが何もできない男性。妻に誘われたコーラスサークルに素直に入りたがらない男性。サークルの仲間達に対して東大卒の元大蔵省勤務と偽っている男性。
カッコつけでプライドが高く生活のことは妻任せ。こんな男性は正直面倒くさいが実際、多いのだろうと思います。
女性はといえばそんな夫に振り回されたり文句ばかり言っていたり寂しがっていたりするものの自分の楽しみは自分で見つけてそれなりに毎日を楽しんでいる。
中でもいちばん生き生きとしている女性は、熟年離婚した女性でした!文句を言いながら我慢する人生に見切りをつけた人は輝いています。
肩書きを失った男性の惨めな感じとのコントラストが印象的です。
すったもんだあったコーラスグループも最後は一致団結で素晴らしいハーモニーを奏でていました。合唱は男声・女声両方が合わさることで厚みも深みも増しますね。
happy endのお芝居でした。貴方の今日がhappyでありますように。

川柳作家 鶴彬(つる あきら)
今年最後の演劇鑑賞は「劇団きづがわ」です。今回のお芝居は川柳作家の「鶴彬」のお話です。ところで鶴彬をご存知でしょうか?
鶴彬(つるあきら)
1909年生~1938年没石川県生まれ。プロレタリア文学の影響を受けた反戦川柳作家。治安維持法で逮捕され留置された中野区野方署で赤痢に罹り、豊多摩病院で死去。享年29。
鶴彬といえばやはり以下の川柳が浮かびます。
「暁をいだいて闇にゐる蕾」
「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」
「手と足をもいだ丸太にしてかえし」
「胎内の動き知るころ骨がつき」
一つ目の「暁をいだいて闇にゐる蕾」の句は大阪城公園内の句碑に刻まれています。
さて、お芝居の感想です。鶴彬の生きざまと、その時代性の中で生み出された川柳と情熱がひとつになり、心に訴えるものがあった。
創作意欲や明るく前向きな好青年ぶりは、やはり小林多喜二にかぶる。
川柳は社会風刺であるがそれだけではない芸術だと考えている。鶴彬のこのセリフが印象的だった。
批判精神だけでなはい純粋に芸術を目指す思いもまた小林多喜二と重なるものがある。
鶴彬も小林多喜二も国家の過ちによって命を奪われたが、29年をまっすぐに力強く生き抜いた。
残念だった点は役者がセリフをあまりにも多く噛んでいたこと。女性の着物の着こなしがもう少し美しければいいなあと思ったこと。
袖にスタンバイする役者の姿がよく見えてしまったこと。ちょっとしたことですが全体的に良かっただけに細部までこだわってほしかった。
ラストシーン鶴彬のさまざまな句碑が映し出される。そして舞台上に設置された献花台に出演者が献花する。
この演出は彼の人生を劇団全部で讃える素晴らしい演出だった。
劇団きづがわ
創立55周年記念第77回公演
「鶴彬ー暁を抱いて」
2018年12月15日
於:リバティーおおさか(大阪人権博物館)
生で観る演劇は心の栄養!3回観るときっと出会えるマイ感動作
心や精神の栄養といえば芸術でしょうか。今日は数ある芸術の中でも演劇鑑賞にスポットを当ててみます。そして演劇のメリットについて考えます。
さて、人生の中で一度も舞台演劇を観たことのない人がいると思います。非常にもったいないです。
映像作品と違う生の体験はいつまでも体に残ります。一度や二度観ただけでそこまでの感動作に出会えるかどうかはわかりません。それは残念ながら保証はできません。
しかし、何度か劇場に足を運ぶと必ずいつか自分はこの作品に出会うために今までの人生があったのではないかと思うような特別な公演に出会えます。
私の経験からいうとあまり余裕のない時に気乗りしない状態で観た作品で大きな衝撃を受けることが多かった気がします。金銭的にも、精神的にもゆとりがないと出かけることさえ億劫になりますがそんな時ほど魂はゆとりを求めているものです。
魂にゆとりを与えてくれるものが極上の舞台演劇にはあります。疲れてる人、今までと違う刺激に触れたい人、ひとりの時間を過ごしたい人、悩みもがいている人にこそ舞台はいいものだと思います。
脚本、舞台の装置、音楽、照明、役者の表情、動き方すべてに創り手の意図が込められています。しかし、観る側にとってはそんなものを通り越したレベルで心を揺さぶられる体験をして欲しい。
生ほど価値ある体験はありません。自分で足を運んで自分で観たもの感じたものは絶対的なものです。それが、虚構でも、幻でも関係ない。
このオリジナルの人生を送ってきた自分だけの今だけの感覚は紛れもなく自分のものです。そこに感動が加わりまたその後の人生が続くのです。
どんな心の栄養を自分に与えるかは自分の自由です。映画やテレビでもお芝居は観られます。だからこそ時には「生」を感じてみましょうよ。
恋愛だってバーチャルな恋愛ゲームより自分と相手の体と時間を共有するリアルの方が大変だけど何倍も刺激的な衝撃を受けます。
自分の24時間を何にかけるかが未来を作ります。心のゆとりが不足すると毎日が味気なく色褪せてしまいます。心の栄養は「生」がいちばんです。ひとり演劇をたしなむ人ってそれだけでちょっと興味深く見られるかもしれません。