何かを伝えたい、わかってもらいたい、納得させたい、影響を及ぼしたい。そして、それを表現することで物事を動かし、その思いを現実化させます。
仕事ができるとは、どういうことを指すのでしょうか。
それは表明した結果を形にするスピードのことです。
つまり
皆んなが納得するイカした目標を考える力
実行計画、プロセスをイメージする力
それらを伝え切る表現力
周囲が自発的に動きたくなる統率力
周囲の人の自己肯定感を上げる力
豊かな感性
立場に寄りかからない仲間意識
常識でも非常識でもない「超常識」
これらは決して難しことではありません。好かれる➕少しのセンスがあればいい。内向的で口数が少なくてもいいけれど、それを何で補えるかを演出する能力は必要です。
そうでなければ黙々とワンマンプレーに徹する職人のような仕事でしか腕を上げにくい。しかも、今や伝統工芸などの世界でも、イノベーションを起こし発信しなければ衰退してしまいます。
会社にいて、そこそこ年齢が上がってくると尚更、ある種の統率力はあった方がいい。大人しくてもいいけれど、この人と関わりたい、一緒に何かやりたい、この人の影響を受けられるなら何でもやりたい。
そう思わせる人が、「いわゆる仕事ができる人」への第一歩ではないかと思います。
そのために私は、誰が取り組んでも一定の効果を発揮するものを届けたいし、実際に貴方の「現実を変えて欲しい」のです。だから「少しの時間と労力で魔法のような大変身」とかは言えません。
直ぐに得られるようなノウハウは、現場に出たときに使いこなせるとは思えませんし、すぐにリバウンドしてしまいます。
数ヶ月単位の取り組みは必要だけど、着実に変化をもたらすもので、一旦身についたものが元に戻ってしまわない、そんな自己変容のプログラムを提供しています。
深層意識をチェンジするためには習慣化です。無意識に体が動いちゃう状態に、もっていくからずっと効果が落ちないんです。
可能な限り続けやすく、取り組みやすいやり方を模索してきてたどり着いた方法です。
ホントはさ「楽して変われますよ」って言ってあげたいけど嘘はつけないんです。やっぱり魔法みたいなやり方は、ありませんからね。
もしそんな簡単に変われるものなら、コミュ障に悩む人、モテないことに悩む人、仕事が辛い人がこんなにたくさんいませんって。
だから情報のたらい回しのループにハマってはいけない。時間もお金も有限だから。そして積み上げたものが、元に戻らないことも大事。
ただ、そんなにしんどいものではないので、そこは安心してもらっていいです。シンプルに体系化してあるので、楽しく続けてもらえます。
受験勉強して志望校に合格するとか、そういうのに比べたら大したことはありません。
世の中には、たくさんの話し方教室やコミュニケーション能力向上のトレーニングがありますが私の場合は「話し方」の前後に「声」と「人間理解」を置いています。
声を磨くのは、自分を好きになるためで、自然に自分に自信が生まれるからです。さらに、相手への影響力にも、声は直結しています。
一見しただけで「なんかすごそうな人だな」って思う人は、だいたい声の響きが良くて、しっかりと声が遠くに届くんです。
話の内容や言葉も大事だけど、瞬間的に感じる「なんかすごそう」な雰囲気は、声が多くの要因を握っています。
さらに声は一目惚れなどにも影響します。
だから私はまず最初に「声ありき」を提唱しています。話し方はその後でいい。
そして「人間理解」については、世の中には心理学を応用したテクニックがあふれています。
でも、私は少し違っていて、演技の訓練を応用したものを学習することで、人の気持ちを、自分の体で体験できるようになります。
やっぱり、頭で人の心理を学ぶだけより、自分が相手になる体験をするのがダイレクトにわかりますからね。
演技といっても芝居はやりませんよ。俳優になりたいわけじゃないですから。あくまでも仕事とプライベートの質の向上のためです。
一目置かれる人はどんな感じなのか好かれる人はどんなことをしているのか。相手がついつい前のめりになって、こちらの話を聞きたくなるのはどういうことなのか。体の内側から分かるようにするためです。
なぜこのようなことをしようと思ったかというと、私自身が演劇畑にいちばん長くいたからです。
表現力を身につけるだけでなく、人前に立って緊張感の中でも最高のパフォーマンスを出せる力が身につきます。
自分を客観視する能力は、なかなか得がたいものです。どんな時も冷静沈着で、的確な判断ができる能力は自分を助けてくれます。
ビジネスにおいても、パートナー選びにおいても失敗の可能性を下げることができます。これらが着実にものにできれば、実生活がかなり楽しく変化します。
声にはいろんな思いが詰まっています。声には貴方の意外な潜在能力が表れています。
人間のことを英語で、ヒューマンやパーソンといいますね。これらは一体どう違うのでしょうか。
端的にいえば
●ヒューマンは「生物としてのヒト」
●パーソンは「個人的な人物」を指します。
ではこれから詳しくみてみましょう。
ヒューマンを知る
映画のジャンルに「ヒューマン」と表示されている作品があります。有名な作品をひとつ挙げるとジェームス・ディーン主演の「エデンの東」があります。
それは、人間らしい葛藤や、人がもつ温かさが描かれた感動作のことです。
人間は動物の一種でありながら、本能やエゴで利己的に振舞うだけではなく、時として自己犠牲を選んだり、利他的行動をする生き物でもあります。
つまり「人間的な心を揺さぶられる作品」をヒューマンというジャンルに区分しています。
パーソンを知る
一方、パーソンはパソコン(パーソナルコンピューター)や、パーソナルスペースなどにみられるように、日本語化している言葉が多くあります。
パーソンとは、ある特定の人物(個人)を表す言葉です。他の誰とも違う「その人」「あの人」「私」「田中さん」「山田さん」のことを表します。
それは、「唯一無二の個性をもった存在としての人間」を指しています。
ヒューマンとパーソンを行き来する生き方
日頃、人は自分の生活をより良くしようと、さまざまな活動に励んでいます。しかし、比較や競争の意識の中で人は疲弊します。
どんなに優れていると思う自分の長所も、比較した瞬間に自分を上回るものを発揮している人は世界にたくさんいる現実を知るからです。
だから、もし自分の内面の戦いにちょっぴり疲れてしまったときには、ヒューマニズムを思い出すとよいかもしれません。
自分の可能性というより、自分の内側に全ての人類がいる。自分の内側に世界が存在している感覚を感じてみましょう。
対人関係におけるヒューマンとパーソン
また、人に接する際は、生物的なヒト扱いするのではなく相手のパーソナルな部分をしっかり見て、個人としての特性や資質を発見できる観察眼で人を見るようにしましょう。
例えば「出身学校」「性別」「出身地」「民族」などの一般的な属性を外すことが重要です。
これらを外すことで「人権意識」が芽生えます。相手をたった一人しかいない存在として接することができるようになります。
そこまで相手を認めたうえで、好きになったり嫌いになったりしましょう。そうすれば、たとえ嫌いだと思ったとしてもいじめたり、攻撃したりすることはなくなります。
また、好意を感じる人とは積極的な関係を結んでいくことかできます。
相手は無意識に、あなたから「自分自身についての個別具体的な」情報を欲しがっています。そんな相手の言葉にならない欲求を満たしてあげられると一気に信頼関係が結べます。
無言の欲求とは「自分のことを知りたい」という欲求です。人は誰も「あなたって●●ですよね」とよくわかってくれる人から言ってもらいたいのです。
例えば、よく女性がホストに叱られることを喜んだり、優しい男性が好きだと言ったりします。これらは別に叱らることが好きなわけでも、本当に優しい男性が好きなのでもありません。
ただ、自分の好きな人から助言をされたり、優しく扱われたり、要は好きな相手からかまってもらえると嬉しいと思っているだけです。なので、これをはき違えて、いちいち口をはさんだり、優しさをアピールすると迷惑がられ嫌われることがあります。
そのため、もし特定の誰かに傾倒して苦しくなる場合はその相手を一度ヒューマンに戻し、ただの「ヒト」として区分してみると楽になれます。
まとめ:好き嫌いを超えたつながりをもとう
時と場合により、自分に有利になるようにヒューマンとパーソンを使い分けられるようになるとメリットがあります。
英語でも日本語でも、「人」というものを複数の言葉で表現するのは、意味があります。言葉は人間が作りました。だから、言葉には人が伝えたかった過去の人々の思いが乗っています。
その思いとはヒューマンに託された「人間が人間的であること」と、パーソンに託された「唯一の自分の存在、唯一の相手の存在」です。
両方を意識できる人は豊かな人生を送れます。人の幸せは人との関係性と、自分が世界に対してどのような眺め方をするかで決まるからです。
言葉は思考です。ヒューマンとパーソンという二つの人間をどうとらえるかが、あなたの考えを膨らませ自分の幸せを定義するのに役立ちます。
問題を直視し、受け入れると解決する
内向的で独りでウジウジ思い悩んでいたのに、それが解決するときは瞬間で終わってしまう。そんな経験がありませんか。
その日たまたま会った人に「こんな事で困ってるんだ」と、ふと漏らしたことで誰かを紹介してもらえたり、不思議なアイデアを教えてもらえたりします。
また仕事がなくて困っているとき、まったく意外なところから突然、複数のオファーが来ることがあります。
あっけないものです。
いつも数分先のことすら人間にはわからないものなのです。
凡人に未来を予知する能力などないのに、未来を悲観したり、不安視しすぎるのは滑稽な姿なのかもしれません。
だから、どうにもこうにもうまくいかない状態のときは、そもそも問題をありのままに正しく認識できていないことが多いのです。
神頼みなど、どこかで奇跡を期待する心は物事のプロセスを無視した逃げの態度で、淡い期待で現状から目を背けているだけです。
つまり、無知を放置している怠慢さと、そんな自分をごまかしている傲慢さが問題解決を遅らせることになっています。
そんなときは、いっそ吐き気がするまで直視してみよう。そして重い腰を上げて、知らないことを知ろうとしたり、調べようとしたり何らかの行動に出ることができます。
また、付きまとう恐怖感はもうこれ以上ないというくらい最悪の状況を設定してみて、それを自分の体で味わってみると馴染んできます。
あらかじめ馴染んでおけば、最悪の状態をむやみに恐れることがなくなります。
人間には順応性があるからです。
もっとも嫌な最悪のパターンと馴染ませてしまうと、後はおのずと解決の方向に導かれます。現状は何も変わらないのに、問題が消えた状態になります。
なぜ消えるのか。それは、問題を問題として正しく認識できたからです。
蓋をしたり、違う問題とすり替えたりしている間は常に爆弾を抱えたまま、今日一日をやり過ごしたに過ぎないのです。
そうして無意識にスッキリしない状態で毎日の生活が続いていきます。理由のわからないストレス状態に陥ると、理由がわからないだけに抜け出すことができません。
今の問題が何であるか。
逃げの楽観主義ではなく、問題に突進していくことで楽観に至るというふうに、自分を変えていくことで問題解決ができるようになります。人には自分をコントロールすることしかできないのです。
そのくらい自分自身の問題や、自分を正しく知ることは重要なことです。
私はもともと人付き合いがいい方ではない。親しい人と過ごす時間の楽しさはよくわかっている一方で一人で過ごす時間をとても多く必要としている。人の多い所は疲れてしまうからアーバンライフよりカントリーライフに憧れる。
貴方は大勢でいるのが好きなほう?人といることによる刺激的な環境を楽しめるほう?それとも、この文章を読んでくれるくらいだから私と近しい内向性をお持ちでしょうか?
内向性、外向性にはもちろんそれぞれ長所と短所があるもののあるデータによると外向的な人のほうが地位を手に入れたりよく稼ぐ確率が高いそう。
企業の幹部や管理職への調査でも自分のことを外向的と回答する割合が一般の人より明らかに高いとか。外向的なほうが出世しやすいということです。
何故なんだろう。極めて内向的な私はこのテーマについてどうにかして覆せないかとずっと考えてきた。
まず、外向性が優位だと思われる理由について考えてみた。
社会や集団の中で積極的に話しかける行動がとれる人のほうが自己アピールできるし活躍の機会を掴みやすい。
知的であっても有能であっても内向性によりそれが伝わらなければ不利になるのは仕方がないと悟ったのです。
人と交わることにあまりに消極的な人に一生懸命目をかけてくれるような貴重な人は親しかいない。
黙っているだけで私の素晴らしい可能性を見つけてよ!私は黙っているけれど私の特別な才能を引き出してみんなに認めさせてよ!
そんなことは通用しないし傲慢極まる態度でありそんな小娘は誰も相手にしないのです。お花畑のお姫様は痛いだけ。特別視されるにはそれだけの理由を出すしかない。
出し方はいくらでもある。会話でアピールするか、文章で表現して読ませるか、態度でわからせるか、、姿勢や背中を見せるか、一芸を披露するか、、人に代弁してもらうか、人の話題に上らせるか、、ビラを撒くか、要はなんだっていい。
成功とか幸せとか願う上で外向的であることは有利であると認めざるを得ない。
一方で、内向的な人の有利なところは一人自分に向き合い特定の分野の研鑽を積んで専門性を磨きエキスパートに近づくこと。
だから、それを実行する自己管理能力を身につけること。そして、ここぞというときだけでも外向性を身にまとうことができたら最強じゃないか。ときに変身できる技を持てばいい。
外向性とはつまり外側の対象に向かって放つ空気感のこと。人に気に入られやすいこと。話しかけたくなる雰囲気をもつこと。相手の特徴を掴む観察眼をもつこと。
それがあれば後は内向的人間のもつ思慮深さとか謎めいた感じを魅力的に好意的に受け止められるようになる。
内向的な人、外向的な人、両方いるからいい。いろいろあっていいし、両方あっていい。一人の人間の中にも両方を持ち合わせたらいい。そこに至ったのです。
内向的であることを活かすために身に付ける外向性は天然の外向性とは違うかもしれない。後付けのオプションのような外向性でも相手にはわかりません。
今の私を見て内気だという人はほとんどいません。明るいとか、情熱的だとか、面白いとか勝手にそんな風に言われます。
笑っちゃいます。別に私の性格が変化したわけじゃない。演劇理論をもとにした魅せ方を知ったからです。だから誰にでもできます。
それを手にしたら貴方の暗さも静けさもパワーにできるのです。
会話が苦手な人へ。次に自分が言うことばかり考えてしまう原因と対処法
相手の話を聞いてない。って書くと一行で終わってしまいますね。
次に自分の言うことを考えてしまうというのは、一対一の会話のときだけでなく会議や複数の話し合いの場でもよくあります。
順番に自己紹介させられる場面や順番に意見を求められる場面などではほとんどの人が自分に発言が回ってきたときのシュミレーションを頭の中で展開しています。
それほど人は自意識が強いのです。
変なこと言っちゃいけない。
優れた意見を言える人間に思われたい。
頭悪いと思われないように。
自己中だと思われないように。
日本は平和な国ですね。だけど、これでは矛盾しているのです。だって「無難に目立たないように」と「俺様の有能さを示したい」と相反する願望がにじみ出ているから。
そこはかとなく目立ちたいみたいな気持ち悪さです。
だったら真面目な会議で入魂のギャグでも披露してくれたら私は心の底から尊敬しちゃいますがそんな人はほとんどいない。
まぁこんな事を言ってる私も次に何を言おうか考えてしまうことはいっぱいありました。
じゃあどうしたらいいか。
それは誰かが話しているときには、それを聞くことだけに集中する癖をつけていくことです。
とにかく聞くのです。自分に発言する番が来ることなど忘れてしまうほどに聞くのです。
これって本当に難しいことです。だから一生懸命全てを捧げるつもりで聞き入る事を自分に課すのです。
で、自分の話す番が来たときには自分の胸に全神経を集中させてみます。頭を働かせないつもりで胸に聞くのです。
胸から上がってきたものを喉から素直に出すのです。
それまでに人の話に全神経を傾けて耳をすましてきたのなら胸に何かが浮かんでくるはず。真剣に聞いていたなら何かを言いたくなるはず。
その人の言葉を引用して発展させたり、まったく逆の意見が出てきたり、自分がどう思われるかよりも、どう思われてもいいから言いたい事を貫くことを第一優先にすると決めるのです。
日常の中に訓練の機会は無数にあります。日常を意識することが会話上手、話し上手の究極のテクニックです。
人の話を上の空で聞いていて自分の頭をどんなに働かせたって、昨日の自分とほとんど変化はありません。
自分を大きく飛躍させ楽しみや喜びを追求したいのなら、意識を変えずに情報を詰め込んでも大して面白くはなれません。
自分なんて何十年もやってますから簡単に変わりません。
大病したり、大失恋したり、失業したり、そういう不可抗力によって変化させられるだけじゃなくて
何事もない平穏な日々の中で自分を大きく変えたいなら、日常の意識とチャレンジを繰り返すことです。
それをやるから「あの人は一味違うよね」ってなるんです。密かにファンが増えていくんです。
日本語が流暢に話せるくせに会話が苦手とか、人前で話すの苦手とか、幼子の人見知りと同じレベルです。
幼子は可愛いからいいけど、大人ならそういうことを言い訳にして逃げ続けるのはダサいしキモいと思ってやれることからやってみましょうよ。
自分の枠を超えてからの楽しい人生をよりたくさん過ごしましょうよ。逃げないことを選択しよう。
そうやって人の話を聞く習慣がつくとどういう人を話し上手というのかを自分で見極められるようになります。
そうしたら、その人の言葉をアレンジして自分のものにしたり、言われて嬉しくなった言葉を今度は自分が誰かに掛けてあげたり、そういうことが自然にできるようになって語彙が増えていきます。
気がつくと自分の特異性が人の口を通して自分に伝わります。
「話しが面白い〇〇さん」
「いつもユニークな〇〇さん」
「個性が光り輝く〇〇さん」
自分も知らない自分の可能性を他者が教えてくれるようになる。
なぜそんな事態になるのか。それは、とりも直さず貴方が人の話をよく聞く人だからです。
貴方が好かれている証拠です。相手は貴方と話がしたいのです。こんな毎日を過ごせたら貴方も周りも楽しくないですか?
実現可能ですよ。実現したいと心から思うなら。限られた人生の時間を共に楽しくしていきましょう。