話し上手や聞き上手な人は好まれますがただの雑学王は確実に廃れています。スマホの方が物知りだから。自分でいくらでも事実や情報であれば手に入る情報社会においてたくさんのことを知っているだけではもはや何の価値もありません。
それより自分が自ら体験したことを面白く興味深く相手の状況に立って伝えてくれる。そういう人が一緒にいて楽しい人になります。
凡庸なものに非凡な解釈を与えられるのは体験豊富な人です。自分の目を信じている。本当の意味での自信家です。ウケ狙いや、自信のなさの裏返りの虚勢とは違います。
自分の前提をちょっとグラグラさせてくれる人って面白いです。そんな人を「変な人」で片付けないことです。是非こちらから飛び込んで認識を広げてもらいましょう。面白い人ってテレビの中に居るんじゃない。いつも自分の近くにだって居るんです。
長年いろんな目にあってその人が形成されています。不可解に見える部分こそ愛すべき部分です。それでもあなたがいいと言われたいし、言いたい。
人生でもビジネスでも本物のパートナーとはこんな関係を築きたい。

どうしても辛くなったときは自分を最優先するべきです。自分の命ですから。まずは自分を大切にするために何を選択するかよく考えてみましょう。
死にとらわれたり、身動きが取れなくなったりするのは無条件に現状を受け入れてしまっています。
一旦リセットして、自分をいたわってそして自由になってみましょう。
自分に与えるものすべてに意識を向けてみましょう。ものだけでなく言葉も。自分に掛ける言葉を聞いてみてください。
「自分はまだまだダメだ」なんて言っていませんか。向上心があり真面目なことは素晴らしいです。でも自分をいじめるのは違います。
優しく丸ごと愛す言葉をたくさん掛けてみましょう。涙が出てきたら、泣きつくしてください。
さっぱりして元気が出てきますよ。優秀で何でも出来るタイプの人ほど自分を抑圧して、立派な振る舞いを意識していたりするものです。
ひとりで過ごす時間を過ごすことです。社会へ向けた仮面を外す時間を長めにとりましょう。
私はそんな時よく近所の河や滝に出かけます。自分だけのために自分と過ごす極上の癒しの時間です。
こういうことを繰り返していると運命が自分本来の望みに気づかせてくれます。そしてそちらに導いてくれます。とっても自然に。楽しくなるまで。いろんなことが少しずつ。

世の中にはたくさんの価値観が存在しています。その中に自分の価値観も存在しています。自分サイドからわき起こってきた感情を自分は感じています。
自分と違う側にも無数の価値観があるのに自分と違うだけで反射的に嫌な感じを受けてしまいます。
直接的に反応するとくたびれるので精神的引きこもりのような反応を示してきました。
でも自分の握っている価値観ですら過去のどこかで何かの影響により無意識に握ってしまったものにすぎないのだとしたら。。。
起こってくることに対してすぐに反応したり、引きこもったりムッとしたりする自分をまずは自分が助けてあげることが先決です。
誰かの創った世界に住みたくないなら自分の救済に着手することがいちばんするべきことではないのか。
「どんな考え方も必要としない」挑戦です。このような境地に達した時に生まれてくるものをストレートに表現できたら自由が見えてきます。
誰に対してもおしつけのないそれでいて自分を明け渡すでもない対立することもない。
多くの人に見られるに値する表現が見つかるかもしれません。自分維新は宇宙維新なのですね。

披露宴の司会を終えるとぐったりしてしばらく動けなくなるほど疲れることがあります。
せまい空間にたくさんの人が集まってひとりひとりの想念が入り混じってあらゆる方向に飛び交って体を通り抜けていくような感じがします。
通り抜ける際、いろんな念が自分の体内に付着してエネルギーがそこに吸われてしまような感じがします。人間の念というのは本当にすごいパワーを含んでいます。
皆さんから力を頂いている部分も確かにあります。さらに披露宴の最中は軽い興奮状態にあるため、すごく元気に仕事をしています。
皆で新郎新婦の幸せを祈るということがどれだけ実際に力強く働いているかということがはっきりとわかります。
挙式に参列する際は、自分の身の回りのいろんな雑念を置いて清らかな心で本気で祈ることが大切だと思います。
そして仕事で関わる私も極力シンプルにお祈りできるように心を落ち着けて臨めるように努力をしなければと思います。
人のもつ想念の強さがより良い形で現れるようになればあらゆる社会のかかえる問題が強力に解決に向かっていくのではないかと思います。
逆に悪いものに対して想念の力が強く働くと、人間は愚かな破滅の道に容易にはまり込んでしまう危うさがある。
自覚的になろうと思った今日この頃。
だから祝うときは心から祝う。
怒るときはまっすぐに怒る。
葛藤劇はとことん演じる。
恥じることはひたすら恥じる。
でも衝動的にならない。
自分を覚めさせるとこれまで見ていた風景が少し乗り変わって見えて冷静になってきます。パターンに簡単に引きずり込まれてきたことにようやく気付く時がふわ~っとやってきます。
何が言いたいかというとどんな人も実はすごく力があるってこと。想念をどっちに向けるかということに自覚的になれればもしかしたらすごく楽しいことになるかもしれない。
選ぶのは自分だけの特権です。選択の自由と創造の自由を行使しましょ。