私はいわゆるゲラで、些細なことでケタケタ笑ってしまうタイプです。
例えば、結婚披露宴のクライマックスの感動の場面で、新郎のお父さんがマイクに頭をぶつけたりすると、もう我慢ができないのです。
もちろん必死でこらえますが、その自分にさらに笑えてきてしまい、それは辛い時間となります。
笑いが生まれる瞬間って何かというと、あるべき姿を想定しているのに、それがズレた時に起こります。
滑ったり、コケたりして面白い人は、コミカルな人より断然カッコいい外見の人です。
側から見ればズレですが、本人にとってみれば大悲劇です。笑いとは残酷なものです。そして人は笑いが好きです。
ただし、程よいズレに収まらないときは、逆に笑えない状況になります。ま、それもまたドラマですが。
ちょっとしたズレ、ちょっとしたいい意味での期待の裏切りは、笑いや感動を生みます。
いつも大笑いしたい。笑える人とたくさん一緒に過ごしたい。笑いの奥にある人々の悲哀を感じ取り、それすら笑いに変えていけるようなリアクションが取れる人が好きです。

ある新郎新婦を担当したとき「私たちはお互い対等な関係です。
だから披露宴の中で性的役割分業について触れる言葉はいっさい使わないようにしてください」と言われました。
お気持ちよくわかります。ご安心ください。こういう言葉は元々使わないようにしています。
ここまではっきりおっしゃる方はめずらしいですが、私はとても共感します。
それは決して人によって感じ方に違いがあるため無難な表現にしておこうという理由からではなく、私自身が正直に違和感を覚えることから言わないようにしてきたのです。
例えば、披露宴の司会の際の個人的NGワードはこのようなものです。
「入籍する」→言い換えるなら「婚姻届を提出する」
「お嫁にいく」「嫁ぐ」→言い換えるなら「結婚する」
それから「一家の大黒柱」「内助の功」「子孫繁栄」こういう言葉も避けています。
時代遅れな言葉という印象ですが、決して良い悪いと決めつけられるものではありません。
ただいろんな方が集まる場で、全ての方に気持ち良くお過ごしいただくことを考えていきたいですし、言葉を扱う仕事をさせていただいている以上、意識し、悩み続ける姿勢そのものが大切だと思っています。
ちなみに列席者の方などがおっしゃる分には何の問題もありません。
他にも、もしあなたが個人的に嫌な言葉がありましたら教えてください。私は使わないようにします。
そして積極的に使ってほしいと思われる言葉があればこちらも教えてください。いろんな方の言葉の感性に触れてみたいですし、言葉にこだわるお客様大歓迎です。

ご家族や列席者の方から「温かくよい司会でした」などとお褒めの言葉をいただくことがあります。
ひとまず責任を完うできたのかなと安堵と感謝でいっぱいになります。
しかし一方でみぞおちがチクリとするような痛みを覚えます。
私のこれまでの司会者人生と比べると、それ以前の人生の方がはるかに長いです。
昔の私は今思うと随分心ない言葉、きたない言葉を使ってきました。そして人を傷つける言葉もたくさん使ってきました。
そんな私が司会を始め、少しばかりものの言い方を学んだからといって過去の罪がたちどころに消えるわけではありません。
それなのに「皆様のご多幸をお祈りいたします」なんて涼しい顔をして言う資格が自分にあるのかと、心の片隅で問う自分がいつもいます。
それでもマイクを持って仕事をする以上、私は天に向かってお許しくださいと言うほかないのです。
言葉には人を救い、慰め、励まし、人生を変える力がありますが、同時に人を殺す力もあります。
相手が心地よくなれる話し方、言葉の選び方、そして何より心を傾けて相手の話が聴ける人になれるよういつまでも追求していきたいです。
そして心のすきまにたえず居つづけるこの「懺悔」の念を抱えたまま日々向上していきます。
人前で堂々と喋れるようになるには、どうしたらいい?
司会者をしているとよく聞かれる質問です。お仕事などでかなりのキャリアをお持ちの方でも、特に同業の人たちの前で話をするときに緊張すると言う人は多いですね。
お気持ちはとてもよくわかります。これから二つの秘訣をお伝えしますね。それは、あるものを捨てて、あるものを持つ意識が大切になります。
◆捨てるもの
司会者が、いちばん緊張するのもやはり同業者がたくさんいる前で話したり司会をするときです。
何故ってそれは、自分が日頃から同業者のレベルをジロジロと測っているからに他なりません。
そうでしょ?だからみんなが自分のことをジロジロ見て厳しく評価しているように妄想して人前で話すことが嫌になるのです。
ですので、ひとつめは心の中で他者に対してチェックや批評をすることを捨てることです。
◆持つべきもの
ふたつめに、是非持っていただきたいものがあります。それはあなたが心から言いたいことです。
人前で話すからには何かの役割があるからだと思います。その主旨を理解するだけではなく、何故自分は今日この場でこの内容について話すのかという理由を事前に明確にすることです。
自分の価値観に照らし合わせて考えると強い情熱とともに、主張したいことが見つかりませんか?
それを見つけて際立たせてあなたの言いたいこととして昇華させるのです。
事前に熱い気持ちが湧くままそのことについて想いを巡らせてみましょう。そしてその熱を心の深いところで感じたまま人前に立つのです。
自分の軸から生まれた想いを味方にすると誰の評価も怖くないです。
評価が低かったとしてもそれは相手がたまたま価値観が違うだけだと思えます。相手のレベルが低いわけでもなく自分が劣っているわけでもない。
ニュートラルな余裕と他者が存在しているからこそ、その違いに気が付けるし、お互いがユニークな存在だということが分かります。
自分は自分でいいのだと認められるから相手も尊重できる。
そういう想いに至るまで自分の取り組みや、仕事に対して日頃から深掘りする癖を身につけると精神的に強くなれます。以上が人前で堂々と喋れる秘訣です。
・他者への無意識な批評を捨てる
・自分の軸から生まれた熱い主張を持つ
今日意識して明日すぐにできるような秘訣ではないかもしれません。
しかし、日頃の考え方や行動が生き方になり、いつしか堂々とした雰囲気を放てる人になります。少しの意識から始めてみませんか?

あなたがあなたらしく自分の人生を楽しんで生きていると運命の人に出会えるし気がつくことができます。
自分が満たされていないうちに運命の人と出会っても愛されることを考えて愛するという利害関係になります。
どちらがより愛されているかというパワーゲームにハマってしまいます。
いつも相手の愛情を計り自分の愛を出し惜しみし優位に立てるように振る舞う毎日。
あなたが本当に求める幸福感は得られそうですか?人に満たしてもらわなければならない愛の渇望を抱えたままではどんなに相手を変え魅力的な人と関係をもっても魂が打ち震えるような愛を体験することはできないのです。
自分を好きになるにはどうしたらよいでしょうか。自分が本当に何を望むのかどうしたいのか。生まれてきてよかったな。生きててよかったなと毎朝目覚める度に感じられるようになるには何が必要でしょうか。
それは自分自身に聞くしかありません。自分の本心しか答えを知らないからです。楽しいと思えそうなことを片っ端からやってみるのもひとつかもしれません。それほど自分ってわからないものです。
何十年も自分やっててさ。何もわからないなんて不思議な存在です。さ、自分への好奇心が湧いたら今日は自分にどんな体験をさせてあげようかな。