
演技の先生の教え子さん達のお芝居を見に行きました。8人の陪審員たちが議論し有罪・無罪いずれかの判断を求められる。様々な仕事をしている一般人が突如死刑に関わる重大な審議に向き合わされる。
ひとつの事件は様々な社会問題を含んでいる。激しくぶつかり合い、涙を流し必死に答えを出そうともがく過程は人をこんなに成長させるのかと感動した。
そして自分の日常を振り返ってみると誰かと何かについてこんなにも真剣に議論をぶつけ合うことをしていない。機会がないのではない。たぶん避けている。いや、逃げているのかもしれない。
何かについて議論することと相手の人格を傷つけることを混同していたら率直な話し合いなどできない。人格とは別の次元で議題にのみ集中して意見を述べ合うことは意外に難しいものだ。
そしてそもそも議論を交わすことはとても面倒だ。また、途中で自分の意見を変えることにはどうしても人間は屈辱感を味わってしまう。そんなみみっちい部分を乗り越えて自分を成長させていくことの爽快感。
それから物事の表面的なことのみにとらわれない眼力を養うことの大切さ。8人の陪審員は一人残らず自分で考え自分で答えを出した。誠実に向き合えばどんなことからでも人間は学べるし成長の肥やしにできる。
出演者ひとりひとりが役柄に誠実に向かい過ごしてきた稽古期間に対する敬意とすがすがしい気分を感じつつ会場を後にした。
スタジオ・アクターズアート
プロジェクトクラス公演
ミニシアターで映画を観るのが好きです。だいたいいつもミニシアターは空席が多いです。貸し切り状態で赤字やん大丈夫かなって思うことも多いです。
そんな中、初めてミニシアターに並んでチケットを買いました。それだけ話題の映画ということです。
刻々と、何が変わっているのか?『日本と原発 4年後』弁護士が描く原子力発電。感情に訴えるような映画とは違う。
推進派の屁理屈が一つ残らず理論でつぶされていく。上演後の河合弘之監督のトークショーを聞きました。
弁護士が映画を作った目的はふたつ。ひとつは、推進派を論破するツールとして。もうひとつは、裁判官に向けて。裁判に勝てば止められる。
政権が何と言おうと電力会社が抵抗しても強制的に止められる。だから訴訟を過小評価してはならない。
そして再稼働全体を最小限に抑え込みその間に自然エネルギーが実は「儲かる」ことがわかれば放っておいても広がるという構想。この弁護士「本気」だと思った。
映画製作の協力者のほとんどが偽名で関わったそうです。本心とは別に原子力ムラに遠慮する人は多い。制作費の募金が原子力ムラに阻まれて仕方ないから借金をして作った映画は日本各地で反響を呼び儲けが出たそう。
このお金はポケットに入れず次回作に充てるとおっしゃっていました。安全に興味があれば見たほうがいい。
原発の仕組み・歴史・福島の事故から現在に至るまで
弁護士視点で描かれる日本の原発のすべて。
知っていますか?原発のすべて。
原子力発電の仕組みとは、歴史とは
それを支える日本の社会構造とは。
否定する人・推し進める人。
避難生活を送る人たちは、、、
ピラミッドのように積み上がりながら
ふる里を侵蝕し続ける放射性廃棄物。
毎時5.0マイクロシーベルト!
放射線量標識が立ち並ぶ常磐自動車道。
低線量被曝とは?
母親たちの苦悩に答えはあるのか?
日本にも起こりうるテロ・戦争行為で原発は
自国に向けられた核兵器と化す。
高浜原発を止めた司法の判断!
そして再稼働は…?
東電元役員に下された強制起訴までの道のりとは…?
全国の原発差し止め訴訟の先頭に立つ
弁護士が描く原子力発電のすべて!
2014年に発表された映画『日本と原発
私たちは原発で幸せですか?』から1年。
刻々と変化する問題を新たに伝えるために
映画「日本と原発」は、その瞬間を記録して続けてゆく。

最前列で観る歌舞伎は見ごたえたっぷりだった。描かれるのはお金と異性のドロドロ。当時は愛情の証に小指の先をちょん切る誓いがあったそう。過激すぎます。痛い痛い・・・・
何百年経ってもしょせん人間はお金や異性に関して非常に業が深いところは変わらないのですね。現代でも異性関係の過ちは厳しい社会的制裁を受けることもあります。
まあ立場や状況によっていろいろありますし、それらを乗り越えて平穏な夫婦生活を送っているように見える人もいます。でも裏切られた方は一生忘れられないことがありますね。
作中では社会的制裁どころか全身を切りつけられるという凄惨なことが行われます。嫉妬は醜いと誰もがわかっていても止められないのが人間です。殺そうというのはどうかと思いますがたぶん現在でも裏切られた側の気持ちとしては切り刻みの刑に処したい人も大勢いると思う。
非常にえぐいシーンを見せられましたが、それがまた美しくてゾクゾクします。残虐シーンはやっぱり魅力的です。残虐なものを見るのは良くないと主張する人がいますが私は見るべきだと思っています。
だって人間の奥底にあるものだから。蓋をするから変なところで噴出するのだと思うからです。あるものをちゃんと認めることができたら昇華するので、目を覆ってはいけない。
そしてまたその残虐性を際立たせているのがお富の美貌です。男性が女性を演じるとどうしてこんなに美しいのでしょうか。目が離せなくなるほど妖しい感じの美しさでした。芸の極みだと思います。
切られても這い上がるお富の強さとしたたかさ。それはきっと誰もが潜在的に持ち合わせているものかもしれない。だから頑張れってお富が現代人にエールを送っているような気がした。
また明日から頑張ろう。
劇団前進座
通し狂言 切られお富
於 呉竹文化センター
劇作家松田正隆の戯曲。アパートに暮らす男と女の会話だけの芝居。そしてこの男女は夫婦である。
仕事から帰ってきた会社員の男が妻の女性と食事をしているシーンがほとんどを占めている。
たわいもない夫婦の会話が淡々と続く。ちょっと言い合いになったり、仲良く旅行の話をしたり、昔の話をしたり。
何でもない日常的な会話のやり取りだが自然な会話の中に現れる。キーワードがひとつひとつ確実に伏線となっていて壮絶な結末へとテンポよく進んで行く。
肩に力の入らない平凡な物語にクライマックス見事に引き込まれていく。ポカンとしている心の中に何とも愛おしい郷愁で充たされていることに気づく。
悲劇的な結末を見せられたにもかかわらず不思議な爽快感を感じさせる。こんな自然風な会話を巧みに演じられるようになりたいと思う。

小林多喜二といえば圧倒的に『蟹工船』が有名ですが今日は『党生活者』を読み直しました。来月開催の「大阪多喜二祭」の文化行事で朗読をすることに決まりました。
そのため、実行委員会メンバーで多喜二作品のどの作品を朗読するのがふさわしいか意見を出し合うため、皆で今一度多喜二作品を分担して読もうということになりました。
そして私の担当が『党生活者』になったのでさっそく読んでみました。数年前よりも格段に面白くなっている!一気に読んでしまいました。
何故こんなに面白くなったのでしょうか。それはより現代的な小説になっているからです。
非正規労働者の問題
核エネルギー問題
特定秘密保護法案の可決
集団的自衛権の閣議決定
東日本大震災の復興問題
韓国朝鮮との関係
奇しくもこの時代は関東大震災の後の頃です。小説は戦前ファシズム体制下での闘争がリアルに描かれています。主人公はパラシュートや毒ガスマスクを作る軍需工場で同志と共に労働環境の改善を要求したり反戦運動をしています。
やがて工場を首になり、下宿にも戻れなくなった主人公は住まいや活動費が必要なことから笠原という女性と一緒になります。
しかし主人公は自分を支えてくれる笠原が「たまには時間をつくって二人で散歩がしたい」とか言うようになると彼女に対して不満が募りはじめます。
そして同志で熱心な活動をしている美人の伊藤に好意を持ち始めるのです。個人生活も大事にしたいと訴える笠原がだんだん鬱陶しくなってきたのですね。ヒモのくせに(^^)
だいたい100%共同体のために捧げる生き方なんてできるはずもない。だったら女性なんて好きなってはおかしいでしょう。利便性で女性と共同生活をする。夫婦を装うことで怪しまれにくいし活動資金も提供してもらえる。
しかも女性の方はその活動家を愛しているのです。時代背景もありますし非合法の中の運動にはそれなりの犠牲があるのは仕方ないことかもしれません。
しかしここに罪の意識がないとしたら問題です。「せめて罪悪感にさいなまれてくださいよ~」って言いたくなるのです。
多喜二にはそこのところの常識さがある。リアルな活動の様子は当時多喜二が関わった闘争がベースになっています。
個人の主体性と革命のための強い連帯意識の間で多喜二は葛藤したのかなと想像します。当時はこんな風に女性をハウスキーパーとして犠牲にしながら運動をしていたようですが現代の感覚からすれば非常に不愉快ですね。
自由と平和のために命がけで闘う姿は皮肉な事に、自由と平和からかけ離れた姿になってしまっているのです。よくありそうな矛盾です。
それにしても自分たちのやっている活動をモロに描いた作品なのに主人公をカッコよく描いてないところが多喜二のすごいところだと思います。
ありのままを書こうとしているように見えます。人間ってどんなに立派な人でも自分中心に考えるものだと思うし人間だからしょうがない。でも、そこで立派そうなことばかり書くのではなく、イケてないない部分も見せようとする多喜二の公平さにものすごく魅かれます。
女性に対しても完全に平等の意識をもっていたことが多喜二の作品や書簡から伝わってきます。この作品は多喜二が特高警察の拷問によって殺されてしまったことから前篇のみで終わっています。
みんなの平等や自由を求める運動によって女性を奴隷化している現実に多喜二は悩んでいたのだろうと思います。この多喜二の問題意識のセンスが何より好きなんです。
そんなことに改めて気付かされた『党生活者』でした。もうプロレタリア文学を超えています。
「党生活者」 小林多喜二
定本 小林多喜二全集 第八巻
新日本出版社
青空文庫でも読めます。
↓ ↓
『党生活者』