京都でお芝居を観てきました。学校のいじめ自殺問題をいじめに関わったとみられる子どもの親たちを中心にあからさまに描き出した作品。
胸が悪くなるほどのリアリズム。保身だらけのエゴイスティックな台詞の応酬は時に笑いを誘う。登場する親たちは皆ごくごく一般的な何処にでもいそうなそれなりに善良で子ども思いの人物である。
しかしある日、一人の生徒の自殺により学校の一室に集められるところから物語は始まる。疑い、嘆き、証拠隠滅…狭い部屋は醜い言葉で汚れていく。次々に証拠が明らかにされて美しい親の幻想は粉々に砕かれる。
この物語は利己的な心を少なくして真実を有りのままに見ることそして真の愛情とはその者の本当の成長を願うことであると伝えてくれる。
とはいえ人間の弱さというものを握りしめていては実際にそれを実践することは難しい。それからいじめという現象が一体どこから湧いてくるのかということを考えたとき人間が集団を形成すると個人個人には見当たらなかったと思われるような残虐性が時として生まれてしまう。
個人の奥深くにある罪悪感や劣等感や愛の欠乏感が集団になったときに吹き出して大きな塊になって特定の個人を攻撃してしまう。
心静かに自分の内面と対峙する時間が持てないほど忙しくしていないといられない何かに追われているような人が本当に多い。
時々でもいい。自分とだけ居る時間を取り戻してみたらどうだろうか。本来心身ともに健全な状態からは残虐性は生まれにくいものだと思う。逆に集団になったときに一人では発揮しえないような美しいものを生み出すこともまた人間にはできるはず。
美しいものとはこの地上に共に生きる同胞のためになすべきことを思い出すことである。ラストシーンに向かうにつれ本当の心を取り戻そうと変化を見せる親も現れ始めた。
真実に対して心を開いていこうとする人が増えればいじめや差別のない世の中の実現は可能だというメッセージとも受け取れた。
劇団昴
2015年4月13日
於 呉竹文化ホール