
仕事でいろんな新郎新婦様とご一緒させていただいていますが、個性のない人はひとりもいません。それぞれが本当にユニークで表面からうかがえる雰囲気もこれまでたどってこられた道のりも人の数だけ存在します。
そんな個性ある人と人が出会い結婚にいたるということがとても神秘的なことに思えます。そこからまた唯一無二の存在のユニークな人間が生まれてくる可能性が出てくる。
誰と結婚するのかは、あらかじめ決まっているのかそれとも人間の自由な意思で決められているのか?まあ結婚に限らず何にでも言えることですが、この疑問に対する答えはわからないとしかいいようがない。
でも何となく…何となくですが、私はあらかじめ決まっているような気がしています。根拠を説明することはできません。結婚してもやがて別れてしまう人がいます。それも含めて決まっているような気がします。
人には、可能性として複数のパターンの人生ラインが常に存在しています。だから、選べる余地は十分あります。そんな可能性の中の一つの現実が形を帯びて現実になるという感じですね。
じゃあ、何が現実として形になるかというと、その時の自分の精神的・情緒的レベルに合致した人と引き合います。新郎新婦の精神レベルはだいたい似ています。
似ていないと惹かれる要素を感じないのです。社会的なステータスには違いがあることはあります。しかし、精神レベルははだいたい同じ人が夫婦になります。
結婚後もし、互いの成長レベルに開きが出てくると、一緒にいることが難しくなるのかもしれません。夫婦は一緒に成長していけることが望ましいですね。
もし、別れがきたとしても成長して学び終えてやってきた別れだと言えるまで、やりきることが大切です。人の前で誠実に誓った決意を短期間で放棄するのは未熟すぎます。
物と違って、簡単に飽きたとか、思っていたのと違ったとかで片付けられることではありません。
結婚相手だけではなく、出会う人、縁が生まれる人はすべて決まっていると思うと、一人一人の関係を大切に扱うようになります。

披露宴で素敵な配慮を発見しました。披露宴に他の友人などが誰も列席していない中ひとりで出席される方がいる場合あなたが新郎新婦ならどうしますか?
たったひとりで出席するという方が元々いないようにするのも配慮のひとつですが、やむを得ずそれでもどうしても来てもらいたい友人がいる場合があります。
ひとり参加の方は同じテーブルに着く人が全員初対面となります。しかも自分以外の人はみんな知り合いの場合ですとその人はどんな気持ちでしょうか。
知らない人と同じ席で長時間食事をするという状況です。大半の人はちょっとしんどいなあと思われるのではないでしょうか。それでも出席されるのは新郎新婦を祝いたいお気持ちが勝っているからにほかなりません。
こういう場合に新郎新婦にできることは何でしょうか。私が見てきた中でとてもすばらしいと思った新婦の配慮をご紹介します。
その新婦の友人は新郎の友人ばかりの席に着席されます。そのテーブルの方の席札の裏に同じテーブルに着く人全員分の簡単なプロフィールが記載されていました。
「新郎の専門学校時代の友人○○さん。あだ名は△△。二児の父。現在○○県で美容院を経営。趣味は釣りとカメラ」
こんな感じで同じテーブルの全員のことがお互い分かるようになっていてお話ししやすいように精一杯の気遣いをされていました。披露宴の準備でやれることは無限にありますから要は「本人が何を優先するか」です。
ゲストに心地よく過ごしていただくことは、ぜひとも上位優先してください。具体的に何をするかは自分目線ではなく相手を想像して思考してみるときっと見えてくるものがあります。
だってその人は他人ではなくあなたがどうしてもお招きしたい大切な人のはずだからです。あなたのお気持ちが皆様に伝わりますように。

人はなぜ、他人のことを祝うのでしょう?それは、幸せは伝染して自分に返ってくることを知っているからです。
例えば、幸せな家庭がたくさん誕生することで、地域に根を下ろし経済が活性化します。それに、幸せな家族は平和を心から願います。世界の平和を願います。だから社会全体の安全・安心につながります。
幸せが感じられる状況では人間はより優しくなれます。幸せの絶頂にある人は凶悪犯罪を犯しません。安心安全を願い人の幸せに貢献したい気持ちになります。
だから幸せな家庭が増えることはみんなにとって社会にとっても歓迎すべきことだといえます。そのため、他人の結婚式に遭遇しても人は「おめでとう」って言うのです。
周り回って循環する幸せをみんなで分かちあえる社会になればどんなに多くの人がもっともっと生きやすくなるだろう。
お互いに等しく認め合える健全な社会になればどんなに多くの人が秘められた潜在能力をみんなのために発揮できるだろう。そんな恩恵をうけられるだろう。
奪い合うような時代が長く続いてきたけれど、そろそろ眠りから覚める時期が来てもいいような気がする。人はどんなことからでも学べるし気づくことができる。「結婚」もそのひとつになりえる。
自分が幸せいっぱいの時にちょっとだけ冷静に周りの人々に思いを向けてほしい。もしかしたら何かが見えるかもしれない。
視点がひっくり返るような新しいものの見方に気づけたらきっと更に幸せになれる。いつまでも幸せでいることができるはず。
幸せの絶頂の貴重な瞬間を更に活かしていってほしいしそんな願いを込めて私も婚礼に立ち会っていきたい。これからもずっと。
私が披露宴の最中に唯一悲しくなる時があります。
それは新郎新婦がインタビューを聞いていない時です。
新郎新婦がドキドキしながら披露宴の当日を迎えたように、インタビューされる方が大勢の人の前で一人司会者からマイクを向けられて応じるということが、どんなに大変なことか想像出来ると思います。
突然にもかかわらず一生懸命に答えてくれているのに新郎新婦が聞いていないとその方はとても傷つきます。
今後のお付き合いにも影響しかねないほどのことだと私は思います。インタビュー中に新郎新婦に話しかけにいく人に罪はないです。
その方に悪気はないでしょうし私にも全員の注目を集められるご案内が出来ていないという責任もあると思います。
だからせめてお二人の内のどちらかが気づいてほしい。
そしてパートナーにインタビューを聞くように促していただきたいのです。
そして途中で気がついたなら披露宴の直後に一言お詫びを入れていただきたい。
インタビューされる側に立って想像してみるとその悲しい気持ちが分かっていただけると思います。
いろんな方とももちろんお話ししていただきたいと思います。でもスピーチやインタビューの時は必ずその方に注意を向けていてくださいね。
その時その場でしか聞けないようなお話しを引き出すための努力を私も重ねていきますからどうかお願いします。
本日は司会のオーディションに行ってまいりました。
オーディションを好きな人はあまりいないと思いますが昔ほど嫌ではなくなったような気がします。
新人の頃は何だか品定めをされるローマ時代の奴隷のような気持ちがして緊張というより恐くて仕方がなかったです。
会場さんはやはり司会者を重要視します。どうせ顔を合わせるのなら声やしゃべりを聞いてみたいと思われるのは当然だと思うので何も気にせず挑んでいます。
ただ非常にやりにくいのは新郎新婦もいないBGMもない中でひとりニコニコとしゃべり続けるという非常にさみしい状況です。
芝居やミュージカルのオーディションの方が演技をしたり歌ったり踊ったりなのでまだ自然にやれます。
まあどっちみち落ちても失うものは何もないので気にしない気にしない。